2016年2月10日 参拝
奈良県奈良市。誰もが知る奈良の大仏を擁する東大寺。同時に奈良仏教の南都六宗の一つ華厳宗の寺院でもあり、修学の寺としても栄えました。大仏は幾度となく災禍に遭いましたが、今に至り海外からの観光客にも注目されています。
東大寺の所在地・交通
所在地
交通
近鉄奈良駅から奈良公園を抜けて徒歩10分程度。観光客が大勢いるし、案内板も充実しているので迷うことはありません。近くに興福寺、春日大社もあり、鹿と戯れながら一日を過ごせます。
交通の便がいいところというのは時間に追われなくて気楽です。
東大寺の御由緒
- 神亀5年(728年)、1歳にならずして夭逝した聖武天皇の子を弔うため金鍾山寺が建立された。
- 天平13年(741年)、国分寺建立に伴って昇格され大和金光明寺となった。これが東大寺の前身。
- その後、東大寺は国分寺の中心となる総国分寺に位置付けられた。
- 宗派は華厳宗。華厳宗は南都六宗(奈良仏教)の一つで、現在で一般に広まっている真言宗、天台宗(平安二宗)などよりも前の時代の宗派。
- 平安二宗以降は災難からの救済が主眼だったが、南都六宗は仏教の研究が中心で、寺院も学術研究所的な意味合いが強かった。
奈良の大仏
- 東大寺の大仏は正式には盧舎那仏(るしゃなぶつ)坐像と言う。盧舎那仏とは、宇宙の真理を体得した釈迦如来の別名で、世界を照らす仏、光輝く仏という意味。
- 天平17年(745年)制作開始、天平勝宝4年(752年)、開眼供養会(かいがんくようえ、魂入れの儀式)が行なわれた。その後度々の損傷を繰り返しては修復され続け、今に至る。
- 盧舎那仏の脇侍は左に虚空蔵菩薩像、右に如意輪観音菩薩像。両方とも江戸時代の作。
東大寺
南大門・大仏殿
- 初代の東大寺南大門は平安時代に倒壊し、現在のものは鎌倉時代に再建された。日本最大の山門。
- 大仏殿は創建以降二度焼失に遭い、現在のものは江戸時代に再建された。再建のたびに構造も変化している。
二月堂
- 大仏にばかり目が行きがちだが、大仏殿の両翼には二月堂、戒壇堂など、仏教寺院として多くの伽藍を擁している。
- 二月堂は修二会(しゅにえ)という仏事が行われる。
- 修二会は正式には十一面悔過(じゅういちめんけか)と言い、日常の過ちを十一面観音菩薩像の前で懺悔するもの。東大寺の修二会は「お水取り」として知られている。
- 旧暦2月にこれが行われていたから二月堂。今は3月に行われている。
コメント