神奈川県鎌倉市山ノ内。北鎌倉の寺院。縁切り寺として知られた東慶寺は、はじめは尼寺でした。明治時代に入ると禅宗の発信地として復活し、いまでは四季折々の花を楽しめる寺でもあります。
東慶寺の所在地・交通
JR北鎌倉駅から徒歩3分ほど。鎌倉街道を鎌倉方面に歩けばすぐです。狭い道で交通量が多いのでご注意ください。
東慶寺の御縁起
- 弘安8年(1285)、北条時宗の夫人である覚山志道尼が建立しました。
- 女性の側から離婚できなかった封建時代に、ここに駆け込めば離婚できるという「女人救済の寺」。以来明治時代までの600年間、縁切り寺法を継承してきました。このときは本山を持たない独立した尼寺。
- 後醍醐天皇の皇女、用堂尼が弟の護良親王(もりながしんのう)が現在の鎌倉宮の地で幽閉、死後、東慶寺に入って5代住職となって以降、東慶寺は「松ヶ岡御所」と称されました。
- 20代住職、天秀尼(1608~1645)は豊臣秀頼の娘(豊臣秀吉の孫)。元和元年(1615)、大坂落城後、徳川家康の命により豊臣秀頼の正室・千姫の養女として入寺。
- 明治4年(1871)、廃仏毀釈により縁切り寺法は廃止、明治35年(1902)、尼寺でもなくなりました。
- 明治38年(1905)、建長寺・円覚寺両派管長の釈宗演が荒廃していた東慶寺を復興、中興開山となりました。
- 釈宗演とその弟子で仏教学者鈴木大拙により、禅宗発信の寺として発展していきます。
- 現在は臨済宗円覚寺派。境内には狭いながらも四季折々の花が咲く華やかなお寺です。冬の枯れ木もまたきれい。
- 宝物館である松岡宝蔵に安置されている聖観音菩薩立像は、鎌倉西御門にあった尼寺、太平寺の本尊。この仏殿は円覚寺の舎利殿になっています。
東慶寺の写真集
6月頃、特別公開される本堂裏のイワガラミもどうぞ。
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