無量光院跡 今はなき東北平泉の平等院

岩手

2015年年5月23日 参拝

無量光院は奥州藤原氏第三代秀衡が建立した寺院で、中尊寺、毛越寺とともに平泉の平和の象徴でもありました。京都の平等院を上回る規模で、奥州藤原氏が東北の極楽浄土を目指したことがわかります。

無量光院跡・金鶏山の所在地・交通

所在地

岩手県西磐井郡平泉町平泉字花立地内

交通

JR東北本線一ノ関駅→平泉駅(9分)→徒歩(10分ほど)

駅からはバスも出ていますが、本数が少ないので歩いてしまうのがよいでしょう。道は平坦です。

無量光院跡の御由緒

  • 無量光院は平安時代末期、奥州一帯を支配していた奥州藤原氏の三代秀衡(ひでひら)が建立した。が、度重なる火災により現在ではその跡地が残るのみ。
  • その御堂は京都宇治の平等院を模したといわれ、しかもそれを上回る規模であったという。
  • その配置も巧みに計算され、日没どきには夕日が本堂、そして背後の金鶏山に沈みゆく光景を拝むことができた。この光景は当時盛んであった浄土思想の極楽浄土を描いたもの。

かつてこの一帯に浄土庭園、平等院をしのぐほどの御堂があった

遠くに見えるのが金鶏山

### 金鶏山

  • 標高98.6m。
  • 金鶏山は無量光院を建立した藤原秀衡が平泉鎮護のために雌雄一対の黄金の鶏を造って埋め、富士を模して人工的に作り出した山である、と伝えられる。
  • 金鶏山の入り口には源義経の妻子の墓がある。
  • 義経は源頼朝に追われ一度は藤原秀衡に匿われたが、結局ここ平泉で最期の時を迎えた。

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