寛永寺 上野恩賜公園一帯を境内とした東の比叡山

2017年10月9日 参拝

東京都台東区、江戸の将軍徳川家によって創建され、全国的にも有名な上野恩賜公園一帯を境内とした大寺院でした。山号の「東叡山」は東の比叡山の意味で、さらに清水寺を模した清水観音堂など格式高い堂宇がそろっています。

寛永寺の所在地・交通

所在地

交通

JR上野駅の目の前にある上野恩賜公園内に各御堂が点在しますが、本堂である根本中道がある場所は上野恩賜公園の北西、JR上野駅から歩くと15~20分ほどのところにあります。

JR鶯谷駅なら寛永寺霊園、根本中堂の裏に出るようです。

寛永寺の御由緒・御本尊

御由緒

  • 元和8年(1622)、天海大僧正と徳川二代将軍秀忠が相談して創建を決めた。
  • 寛永2年(1625)10月、三代将軍家光の時代、発足。
  • 山号の「東叡山」は東の比叡山を意味し、比叡山の延暦寺が年号「延暦」を寺号としたことから年号「寛永」を用いた。
  • 本堂にあたる根本中堂は始め、現在の上野恩賜公園中央の噴水の地に五代将軍綱吉によって建立され、その後も多くの堂塔が建ち大寺院となった。
  • 四代将軍家綱のとき、後水尾天皇第三皇子が入山、朝廷より「輪王寺宮」の称号を下賜された。皇子を迎えるのは天海の願いでもあった。
  • 慶応4年(1868)、彰義隊の戦争により全山焼失、境内地はほぼ国に没収された。
  • 明治時代に復興が進み、川越喜多院から本地堂を移築し現在の根本中堂とし、そのほか戦火を免れた清水観音堂、本坊表門、再興した開山堂、辯天堂などが遺る。

御本尊

  • 御本尊は秘仏、薬師如来三尊像。
  • 伝教大師最澄の自作と伝わる。
  • もともとは近江の石津寺に祀られていたものを、根本中堂建立時に迎えた。
  • 脇侍の日光・月光菩薩は同時に山形の立石寺(山寺)から迎えた。

根本中堂

辯天堂
清水観音堂。清水寺を模した。

天海僧正毛髪塔

上野大仏
開山堂

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