神奈川県鎌倉市。いまはその跡しかない永福寺(ようふくじ)。二階建ての二階堂と両脇の阿弥陀堂、薬師堂は遺構からも壮大であったことがわかります。奥州合戦の戦死者慰霊のため建立したと言われますが、後の相次ぐ火災によって廃絶となります。
永福寺跡の所在地・交通
鎌倉駅からバスで鎌倉宮まで行って、徒歩7分ほど。
永福寺の御縁起
- 文治5年(1189)、奥州合戦(源頼朝と奥州藤原氏の合戦)で見た平泉の中尊寺に感動し、 奥州合戦の戦死者、奥州藤原氏や源義経の慰霊のため永福寺の建立を思い立ちました。
- 建久3年(1192)、中心に位置する二階堂が完成しました。現在の地名の二階堂はこれが由来です。
- 建久5年(1194)までに阿弥陀堂(向かって左)、薬師堂が完成します。その他翼廊、釣殿などができ、荘厳華麗な姿になっていきます。
- 頼朝の没後、将軍家は境内で蹴鞠や主演などの行事を行い、また迎賓館の役割も担うようになっていきます。
- 鎌倉時代中期に大規模な修理が行われつつ、後期には二度の火災に遭い、再建を繰り返しました。
- 応永12年(1405)、火災により主な建物が焼け落ち、その後再建されることなく廃絶してしまいました。
- 発掘調査により、現在は建物の基礎と庭園の復元などの整備がされています。
永福寺跡の写真集
跡地というのは実物がないだけに想像が膨らみます。中尊寺や毛越寺を見てどんな御堂を造ったのだろう、そこでは誰がどんな風に過ごしていたのだろう。そして焼失以降、この付近の人たちは失われた土地を見て何を思っただろう。
現存しているものにはもちろん価値があるし、できれば失われずに残ってほしいけれど、なくなってしまったからこそ感じられるものがあります。
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