【鎌倉】萬福寺 源義経が鎌倉に入るために嘆願書である「腰越状」を書いた寺

鎌倉の寺社

神奈川県鎌倉市。この腰越の地にある萬福寺は、鎌倉幕府の外にあります。源義経は戦の功績を挙げて兄・源頼朝に会おうとしましたが、独断専行な義経の行動を嫌い鎌倉に入ることを許さず、義経はこの萬福寺で「腰越状」を書きました。

萬福寺の所在地・交通

江ノ島電鉄腰越駅から徒歩3分ほど。目の前を江ノ電が通ります。大通りからは一本裏手に入ったところ。

萬福寺はどんなところ?

萬福寺の歴史…身の潔白を証明する手紙「腰越状」を書いたところ

  • 天平16年(744)、聖武天皇の勅命により行基が建立しました。ということで鎌倉幕府よりも300年以上前に造られたお寺です。
  • 建立の理由は、東国に疫病が流行したため。従って本尊は薬師如来を中心とする薬師三尊です。
  • 腰越の地は鎌倉の西の出入り口で、旅人・芸能者が集まる宿場。また海に近いために漁師の信仰も集めました。
  • 元暦2年(1185)、壇ノ浦を始め数々の戦いで平家を討ってきた源義経ですが、その独断専行を嫌った兄・源頼朝により鎌倉に入ることを拒否され、この萬福寺にとどまりました。
  • 何としても一度会いたいとする義経は、萬福寺で嘆願書を書きます。それが「腰越状」と呼ばれるものです。
  • この腰越状の下書きをしたためたのは、義経とともに行動していた武蔵坊弁慶と言われています。
  • 毎年4月、義経まつりが行われ、法要をはじめとしたイベントが行われます。

写真で見る萬福寺のいま…小さな境内につまった義経の記録

腰越駅
総門前
本堂
萬福寺の扁額
腰越状を下書きする弁慶

高僧行基が奈良時代に建立したお寺として鎌倉でも随一の歴史を持ち、さらに悲劇の源義経と深い関わりがある、彩りあるお寺です。境内は小さく本堂があるのみ。

鎌倉は鎌倉市街だけでなく、その周囲にも多くの歴史があります。江ノ電腰越駅からも近く、その一端に気軽に触れられます。そのまま江ノ島まで海岸線を歩いて散歩も気持ちいい。

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