【鎌倉歴史研究04】短命非業の源氏将軍時代

前回は源頼朝が鎌倉幕府を開いた時期を見てみましたが、今回は源氏の滅亡です。源氏の時代はあっさり終わってしまいます。

鎌倉幕府の源氏時代は三代で終了

鎌倉幕府といえば源頼朝からの源氏の時代ですが、その血統はその長男頼家、次男実朝の三代で早々に途絶えてしまいます。鎌倉幕府開府が1185年、実朝の死が1219年ですからたった34年。人の寿命にも至りません。

初代将軍、源頼朝の時代は比較的平穏

奥州藤原氏の平泉、毛越寺

数々の苦難を乗り越え鎌倉幕府開府を果たし、1192年に征夷大将軍となった頼朝は、しかし早々に歿してしまいました。死因は病気とも落馬とも諸説あり確定できず。ときは1199年、1185年の開府からたった14年です。

この14年間、1189年に奥州藤原氏を滅ぼした奥州合戦以外に大きな政治・軍事的な動きはなかったようです。1195年に奈良の東大寺の大仏殿再建に頼朝、北条政子夫妻が列席したとか、そんな程度。平和と言えば平和な時代だったのかもしれません。

二代目からの凋落と北条氏の台頭

伊豆修善寺

頼朝の不慮の死から子の頼家が家督を継ぎますが、その歳18。若さゆえか独断が過ぎ、御家人は反発して「十三人の合議制」という形を取ります。これにより頼家の独裁は停止され、頼朝の外戚である北条氏が実権を握っていくことになります(頼家の悪評は北条氏の創作とも言われます)。

その後、頼家が病床に伏せる間に北条氏はさらに力をつけ、弟の実朝に家督を継がせようとします。結局、頼家は信頼した御家人も失い、伊豆の修善寺に幽閉されます。しかも実母北条政子の手によって。

翌1204年、頼家は北条氏によって暗殺されてしまいます。

三代目にして最後の源氏将軍、源実朝

将軍参拝の鶴岡八幡宮の夜はこんな感じであったろうか。これはお正月。

頼家の幽閉後、実朝が三代将軍となります。1203年に征夷大将軍となり、このとき12歳。そこから1219年に歿するまでの16年は、御家人の反乱や疱瘡の罹患など、なかなかに波乱でした。一方で朝廷での官位昇進は急速で、最後には右大臣まで昇りつめています。

1219年、雪の積もる鶴岡八幡宮参拝の夜、実朝は頼家の次男公暁に襲われ命を落とします。頼家亡き後、実朝は公暁を自分の子としたのに、「親の仇を討つ」ということでなんとも皮肉です。

こうして源氏将軍は滅亡します。鎌倉幕府開府後、あまり幸福とは言えない源氏の歴史でした。そして名実ともに北条氏の執権時代に移ります。

その最初の事件が、その後の日本史を決定づけたと言っても過言ではない、後鳥羽上皇による承久の乱です。

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