【鎌倉歴史研究02】鎌倉は鎌倉時代以前から源氏ゆかりの地だった

古都と呼ばれる鎌倉ですが、そもそも源頼朝はなぜ鎌倉に幕府をつくったのでしょうか。鎌倉時代以前は京都の朝廷が日本の中心でした。それが関東にうつった理由を探ってみます。

鎌倉の地形が外敵からの防衛に最適だったこと

源頼朝が鎌倉に幕府を開いた理由としてよく言われるのは、その地形です。現在の鎌倉の地図を見ても、鶴岡八幡宮から由比ヶ浜まで続く鎌倉市街は三方が山に囲まれています。残る一方は由比ヶ浜の海。この地形が外から攻め込まれにくいとして鎌倉を選んだという話です。

外地から鎌倉に入るには鎌倉七口と呼ばれる切り通しを通るしかありません。この7か所さえ抑えておけば「首都防衛」ができます。たしかに軍事的には要害でした。

頼朝の祖先が鎌倉を拠点としていた

しかし、地形以外にも「縁」という理由があります。

源氏というのは源頼朝が初代ではありません。源氏は、皇族が臣下の立場に下りるときに与えられた姓でした(平氏もその一つ)。つまり名門です。

時代は遡り、源頼朝の祖先にあたる源頼義が関東の相模守に任じられたのは長元9年(1036)。このときから源氏と関東との関係が始まりました。その後、桓武平氏である平直方から鎌倉の邸宅等を譲り受け、鎌倉に源氏の拠点を築きます。

源氏が鎌倉にいることこそが時代の象徴だった

時代は下り頼朝。

頼朝は伊豆で挙兵します。伊豆から東へ向かう途中、石橋山の戦いで平氏に敗れ、安房(千葉)に逃れます。しかしそこで氏族(上総氏・千葉氏)の支持を得て再び鎌倉に向かい、今度こそ鎌倉に大倉御所(頼朝の邸宅)をかまえました。

そうまでして頼朝が鎌倉を目指した理由は、やはり上述の要害と源氏の縁ということではないでしょうか。実際、身近なところでは父の義朝は少年期を関東で過ごし、鎌倉亀ヶ谷に居をかまえました。源氏が鎌倉に幕府を開く、というのはもはや必然であったのかもしれません。

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