【鎌倉歴史研究01】鎌倉時代概略 大きなできごとを眺めてみる

鎌倉時代と一言で言っても150年近い期間があります。この間に何があったのでしょうか。年表からだいたいの動きを見てみましょう。

ということで、まずはおおまかに鎌倉時代を追ってみたいと思います。だいたい三区分にしてみましたが、私の勝手な区分です。

鎌倉時代黎明期

源頼朝が創建した鶴岡八幡宮。鎌倉の象徴です。

鎌倉時代の始まりに諸説はあるものの、朝廷が頼朝に徐々に実権を認めていき、支配に十分な力をつけた時期が黎明期と言えるでしょう。

できごと
1183 寿永二年十月宣旨 頼朝に対して東国における官物・年貢納入を保証
1185 文治の勅許 守護・地頭の設置権が頼朝に認められる→軍事・徴税の権限が認められたことで関東における頼朝の支配は実際的となる
1189 奥州合戦 平泉の奥州藤原氏との合戦に勝利
1192 頼朝、征夷大将軍に任命される

源氏将軍の廃絶と北条氏執権時代

鎌倉大仏も代表格。

源氏将軍は三代で終わり、その後は源氏の外戚である北条氏が鎌倉幕府を取り仕切っていきます。この、権力者が源氏から北条氏に移ったときが転換点の一つと思います。

できごと
1199 源頼朝歿す(落馬?) 子である頼家が継ぐがまだ18歳と若く、北条氏を中心とした執権政治が始まる
1203 比企能員(ひきよしかず)の変 頼家幽閉(翌年暗殺)、弟の実朝が継ぐ
1219 実朝暗殺 源氏将軍滅亡、北条氏の統治体制がさらに強化

北条氏による全国統治の確立と滅亡

安国論寺。日蓮の活動も鎌倉から。

1221年、朝廷と幕府の戦いである承久の乱で幕府が勝利し、時代の覇者は定まりました。

その後100年ほど鎌倉幕府の時代が続きますが、元寇により国内が揺さぶられ、朝廷が再び倒幕計画を実行していくと、ついに鎌倉幕府は滅亡します。

できごと
1221 承久の乱 朝廷(後鳥羽上皇)と鎌倉幕府(北条義時)との戦い 朝廷が敗れる
1232 御成敗式目の制定 裁判について定めたもので、その公平性は後年の参考となった
1274 文永の役
1281 弘安の役 文永の役と合わせて元寇という
1324 正中の変 後醍醐天皇による統幕計画が露見し、首謀者が処分された事件
1331 元弘の乱 後醍醐天皇による再度の討幕運動 以降、1333年まで戦乱が続く
1333 北条高時はじめ一族一党自害 鎌倉幕府滅亡

鎌倉時代が歴史に残したもの

鎌倉時代は、一流武家である源氏により初めて関東に、そして武家による治政が始まるという歴史の一大転換点でした。承久の乱では武家が朝廷に勝利するという快挙も。江戸時代まで続く武家政治の礎と言っていいかもしれません。

また、日本史上初めての海外からの本格的侵攻、元寇を経験します。

結果的に鎌倉の政権は約150年続きましたが、後醍醐天皇によるたびたびの倒幕計画により、ついに鎌倉幕府は滅亡します。このとき、楠木正成、新田義貞、足利尊氏など次の時代を作る英傑が現れました。

一言で鎌倉時代と言っても、多くの「史上初のできごと」があり、日本史に色濃く残る時代でありました。

何より、ほとんどが京を中心とした日本史において、江戸とともに鎌倉が貴重な「関東の時代」であったということが、個人的にはどこか誇らしくも感じられます。

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