新元号「令和」によせて 元号は歴史を振り返るきっかけとして

日記

寺社参拝をしておりますと、元号にはけっこう馴染みがあります。天平何年だの元暦何年だの、延暦のときに建立されたから延暦寺だの。

日本史上のできごとは元号で表現されるし、元号だから「ああ昔のことだな」と時間の遠さを感じます。西暦表記は何年前かはわかりやすいけど、時代の違いはあまり感じられない。こうした「時間感覚」は独自の区切り、元号を持つ日本ならではのものではないでしょうか。

現代の生活ではむしろ西暦に統一したほうが便利というのはあるし、実際実務上はすればいいと思いますが、歴史の記録としてはあったほうがいい。いまの利便性とは別に、何十年後かに振り返るときにわかりやすい。

振り返りというのは人にとって大切なことです。あのときどうだったか、正しかったか間違っていたか。そうして次には誤らないようにしようと過去に学ぶのが人間だし、人間だけが持つ「歴史」の価値だと思います。そうした振り返りのきっかけを元号は与えてくれる。

元号による区切りは日本独自の区切りです。それは、日本だけが世界に伝えられる歴史観です。たぶん西暦では「この(平成の)30年を振り返る」という観点はないと思います(調べてないからわからないけれど)。

この30年には、世界にもいろいろなことが起きたはずです。 日本が元号という区切りを世界に提供して、現代人が現代史に学ぶきっかけになれば、それが現代における元号の価値かと思います。


とはいえ、昔の元号は縁起担ぎに変えていたという話もあるし、いまは一世一元だから大ごとだけど、昔の慣習でいけば大して騒ぐことでもないのかもしれません。

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