2017年8月20日 参拝
奈良県奈良市、近鉄奈良線大和西大寺駅にある西大寺は真言律宗の総本山。もともとは称徳天皇が鎮護国家、平和祈願のために四天王像建立を発願したことに始まります。当時の大伽藍は失われてしまいましたが、真言律宗を興した高僧叡尊の遺志が連綿と受け継がれています。
西大寺の所在地・交通概略
所在地
奈良県奈良市芝町1丁目
交通
近鉄奈良線大和西大寺駅から徒歩5分ほど。駅には案内も出ているしすぐ近くなので迷うことはないでしょう。
西大寺の御由緒
歴史
- 西大寺の創建自体は天平宝字8年(764)、称徳天皇が鎮護国家と平和祈願のために金銅製の四天王像の建立を発願したことによる。
- 寺院の建立は天平神護元年(765)から宝亀11年(780)まで続き、薬師、弥勒両金堂をはじめとした大伽藍が建立された。
- 平安時代に入ると旧都の寺として軽んじられ、また再三の災害に遭い衰退した。
- 鎌倉時代、興正菩薩(こうしょうぼさつ)叡尊(えいぞん)が真言律宗の根本道場として再建した。
- 室町時代の兵火でまた堂塔を失ったが、明治28年(1895)、真言宗からの独立が認められ真言律宗総本山として今に至る。
御本尊
- 本尊は釈迦如来立像。
- 建長元年(1249)、京都嵯峨の清涼寺の釈迦如来像を模刻した。
四王堂
真言律宗とは
真言宗は開祖空海、その総本山高野山で誰もが知るところですが、真言律宗というと何だろうという方もおられましょう。
真言宗の僧であった叡尊は荒廃した既存の仏教に反発し、奈良仏教の南都六宗の一つ律宗の思想を持つ宗派を西大寺から発信しました。しかしこのときはまだ真言宗の一派であり、少なくとも何か別の宗派ということではない、とされていました。
「真言律宗」という名称が初めて使われたのは江戸時代前期です。
以降も真言宗からの独立が求められ、明治28年(1895)、ようやく「真言律宗」として真言宗からの独立が認められました。しかし、叡尊のころから教義が変わったわけでもなく、独立のときに追従せず真言宗のままとした寺院もあったようです。
そういうわけで、公式に「真言律宗」が認められたのは意外と最近のことでした。
西大寺と東大寺
言われて(御由緒を読んで)「ああ」と気づいたのですが、まさにその字のとおり東は東大寺、西は西大寺、です。西大寺は今でこそ住宅街のなかにいくつかの堂宇があるだけですが、往時は東大寺に比肩したと想像すると、時間の流れと運命を感じるものです。
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