太宰府天満宮 学問の神様、菅原道真を祀る天神信仰発祥の地

全国の寺社

福岡県太宰府市。京都の北野天満宮とともに菅原道真を祀ります。道真は京の政争の結果この太宰府に左遷され、死後怨霊となったとされていましたが、江戸時代に生前の博識が見直され、学問の神様として崇められるようになりました。

太宰府天満宮の所在地・交通

西鉄太宰府駅前から参道が続いているので、迷うことはありません。

太宰府駅は福岡空港からバスで40分ほど。ということは博多からもその程度です。福岡空港は街中にあってアクセスがいいですね。

太宰府天満宮の歴史…悲劇の天神信仰

  • 創建は延喜19年(919)。
  • 御祭神は菅原道真公。現在では学問の神、誠心の神として崇敬を集めます。
  • 道真はもともと京の高官で、宇多天皇の下で信任を受け55歳で右大臣に、57歳で従二位を授かりました。
  • しかし、左大臣藤原時平の讒言により太宰権帥(だざいのごんのそち・太宰府における執政官)に左遷されました。
  • 政治的実権を失い謹慎の生活の末、太宰府の南館(榎社)にて延喜3年(903)、死去。
  • その遺骸を牛車に乗せて運んだところ、間もなくその牛が動かなくなりました。 これが御心とその場所に道真を葬り、延喜19年(919)に社殿が建立されました。
  • 醍醐天皇は生前の忠誠を追想し、延長元年(923)にもとの官職に戻しました。
  • さらに一条天皇の正暦4年(993)、正一位左大臣、太政大臣を贈り、天満大自在天神(天神さま)と崇めるに至ります。

天神信仰とは

  • 道真の死後、京は幾多の災厄に見舞われていました。そのさなか、内裏の清涼殿に落雷があり、高官が多数被害に遭ったほか、特に道真の監視をしていた藤原清貫がその直撃を受けました(清涼殿落雷事件)。
  • これが道真の祟りとされ、以後、雷の神(=天神)として恐れられるようになります。 太宰府天満宮はこの祟りを鎮めるために建立したとも言われます(建立は京都の北野天満宮が先)。
  • もともと、生前の恨みから死後に災厄をもたらす者を鎮める「御霊信仰」があり、太宰府天満宮もこれに基づいたとされます。
  • 時とともに怨霊としての信仰が薄れていきます。もともと道真は詩や文書編集など学問に通じており、江戸時代には学問の神さまと評されるようになりました。

写真で見る太宰府天満宮のいま…いつも賑やかな学問の聖地

2019年7月27日 参拝

拝殿
道真を慕って京から飛来したという「飛梅」

2016年11月18日 参拝

かわいい狛犬
象徴
境内裏山の天開稲荷
あのスタバ。

一度は行っておきたい学問の神様、太宰府天満宮。裏山の天開稲荷を含めるとかなり広大です。本当は徒歩30分ほどのところには竈門神社も…。

福岡からバスで40分ととても行きやすい。福岡に来たらぜひお訪ねください。

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